第44回 不滅のジャズ名曲-その44-世界は日の出を待っている(The World Is Waiting For The Sunrise)

前回紹介したBurgandy Street Bluesとならぶ、ジョージ・ルイスの十八番、世界は日の出を待っている(The World Is Waiting for the Sunrise)は、かつて世界中のディキシーランド・ジャズの楽団が盛んに演奏した曲。この曲は、もともとカナダのクラシック系ピアニスト兼指揮者のジーン・ロックハートとその友人であるアーネスト・サイツが合作した歌曲であったといわれている。第一次世界大戦当時に流行したポピュラー曲で、その後、ニューオリンズ・ジャズバンドのスタンダードとなり、後にはベニー・グッドマンやレス・ポールもこの曲を録音している。ジョージ・ルイスのコンサートでは、必ずこの曲が採り上げられている。

東京公演でも(前回紹介のCD)でも、この曲が始まると、待ってましたとばかりに観客から声がかかり、大変な盛り上がりを見せた。ジョージ・ルイスのアルバムで、一時幻の名盤といわれた、1954年3月3日のオハイオ州立大学でのライブレコーディングアルバム、Jass At Ohio Unionでも、この曲が始まると、会場全体に熱気が漂い、素晴らしい演奏を披露された。特に、バンジョーのローレンス・マレロが素晴らしかった。

このオハイオ・コンサートは、会場全体にただならぬ熱気が漂い、当時のジョージ・ルイスバンドの巡回コンサートへの大変な歓迎ぶりが伺える。この時は、ロサンジェルスから東部までの長い巡業のなかの途中であったらしい。1954年のコンサートであるから、ニューオリンズ・ジャズ誕生から数えると、既に半世紀ほど経過しており、決して時代の先端ではなく、どちらかといえばトラッドな過去の音楽であるにも関わらず、観客は同時代的なリアリティのなかでこのバンドの演奏を存分に楽しんでいたように思える。

ジョージ・ルイスをはじめ、各プレイヤーと、観客が一体となり、会場を興奮のルツボに巻き込んだこの日のライブの熱気は、レコードを通してこちらの方までダイレクトに伝わってきた。LPレコード2枚組のボックスセットから1枚目のレコードを取り出したときは、最後まで聴く気はなかったのだが、針をおろした瞬間から惹き込まれ、2枚目の終わりまで一気に聴いたのを覚えている。

このアルバムを聴いて、ニューオリンズ・ジャズというのは、ワイルドでラフで俗っぽくて、時には崇高ともいえる音楽だと思った。人間の喜怒哀楽がすべて含まれ、これほど各プレイヤーが理屈抜きで生き生きと音楽を奏でられるということが自分には驚きであった。ドラムスのジョー・ワトキンスのヴォーカルは、南部なまりで、洗練されておらずワイルドであるが故に文句なしの説得力を持つ。地域色が豊かであるからこそ、誰もが新鮮に感じるのだ。トロンボーンのジム・ロビンソンは、Ice Creamで迫力満点のソロを見せる。バンジョーのローレンス・マレロも大活躍。

ニューオリンズ・ジャズは、かつてはローカル音楽だったのが、ラジオ、レコードなどにより1930年代の終わり頃から、アメリカ中に知れ渡るようになった。そして一大センセーションを巻き起こした。いわゆるニューオリンズジャズ・リバイバルだ。戦後も、このジョージ・ルイスのオハイオコンサートに例をみるように、ジョージ・ルイスらの全米ツアーにより多くの感動を与え、人気は衰えなかった。また、ヨーロッパでもブームが起きた。60年代には、日本でもツアーが行われ、多くの人々にディキシーランド・ジャズの魅力や楽しさを教えてくれた。しかし、1968年12月31日にジョージ・ルイスは亡くなる。本当のニューオーリンズジャズバンドの終わりであった。(Djangoより)

※参考文献:河野隆次: JASS AT OHIO UNION(BMC-4032〜33) LPレコード ライナーノート

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※このアルバム(JASS AT OHIO UNION 徳間ジャパン)は、2000/3/16にリリースされましたが、新品は入手困難です。

ジャズ・アット・オハイオ・ユニオン

Gl1

第43回 不滅のジャズ名曲-その43-バーガンディ・ストリート・ブルース(Burgandy Street Blues)

最近街のどこのレコード店に行っても、ジャズのコーナーでジョージ・ルイス(George Lewis)のCDが見あたらない。大型ストアでは、アルファベット順に並んでいるなかで、一応 ジョージ・ルイスのタグは、存在するのだが、一枚も入っていないことが多い。ジョージ・ルイス に限らずニューオリンズ・ジャズはめっきり影をひそめてしまった。かつて、LP時代には、ジョージ・ルイスといえば、OJC盤などを含め10枚程度のレコードが置いてあったのに。世の中で次第に忘れ去られようとしているトラディッショナル・ジャズ。レコード店の現状を見るとそう思わずにはいられない。

ジョージ・ルイスは、1900年にニューオリンズ市で生まれた。奇しくもこの年に、もう1人のニューオリンズ出身の巨人、ルイ・アームストロングも生まれている。1940年代にニューオリンズ・リバイバルブームが訪れ、その頃からバンク・ジョンソンとともに、ニューオリンズ・ジャズの代表的存在として認められるようになった。その後、天性の音楽的才能と素朴で暖かみのあるヒューマンな人柄により、その名声は次第にアメリカ全土にまで及んだ。

1960年代の前半、63年、64年、65年の3年にわたり日本にやってきて、延べ250回にもおよぶコンサートを行った。1963年の東京厚生年金でのコンサートは、深い感動をもたらした歴史に残る伝説のライブといわれている。当日の模様は、幸いにもキングレコードが、レコーディングを行い、LPをリリースし名盤となった。その後、85年にそのCD版が発売された。2004年8月にも再リリースされたので、現在でもまだ入手が可能である。録音状態も良く、今でもそのライブの熱気を高音質で味わうことができることは、有り難いことだ。

歴史に残る名演がレコード化され、今でもその演奏が聴けるということの有り難みをつくづく感じるアルバムの一つが、このアルバムで、タイトルは、ジョージ・ルイス&ニューオルリーンズ・オールスターズ、イン・トーキョー1963。このアルバムに初めて触れたのは今から20年以上前になるが、これがきっかけで、ディキシーランド・ジャズにも興味を持つようになった。それまではひたすらビバップ以降のいわゆるモダンジャズばかりを聴いていたし、当時ジャズ喫茶に行っても、モダンジャズばかりで、普段からあまり耳にする機会がなかったので、ディキシーランド・ジャズについては、特に強い関心を持っていたわけではなかった。

ところが、このアルバムを初めて聴いて、大変深い感銘を受けた。特に驚いたのは、ジョージ・ルイスのクラリネットだった。8曲目のバーガンディー・ストリート・ブルース(Burgandy Street Blues)は、ジョージ・ルイス自らの作曲で、彼の十八番中の十八番であり、この静かな曲を聴いて、しみじみと響き渡る彼のクラリネットが、聴き終わったあとも、いつまでも自分の心に残り、忘れられなかった。彼のクラリネットは、独自の奏法でユニークなスタイルを持っており、他の誰もがそう易々とまねのできないものである。

セントルイス・ブルースが3曲目に入っている。普段聞き慣れたセントルイス・ブルースとは随分異なり新鮮だ。ジョー・ワトキンズのヴォーカルを是非聴いていただきたい。ヴォーカルの後は、ジョー・ロビショーのピアノが続く。このブギスタイルのピアノは、ロックンロールにつながるノリの良さを持っており、これなら今の若い人が聴いても、けっこう惹かれるのではないかと思う。そこへバンジョーが絡む。最後のルイスのクラリネット・ソロが光る。

エマニュエル・セイレスのバンジョーを聴いて、これは到底ギターで代用は無理だと思った。あの歯切れの良さ、カラッとした音色は、ディキシーラン
ド・ジャズには不可欠である。どうしてバンジョーが入っているのか、初めてわかったような気がした。それ以来、バンジョーにも関心を持つようになった。
バンジョー抜きでは魅力は半減する。このアルバムの最後を飾る聖者の行進での、彼のバンジョー・ソロは圧巻である。フォスターのスワニー河が出てくる。

この歴史的記録を収録したアルバムのライナーノートは、野口久光、油井正一という、かつて日本のジャズ論壇を代表した両氏が書かれ、ニューオリンズ・ジャズ研究家の平松喬氏も寄稿されている。ライナーノートの冒頭で野口久光氏は、ジョージ・ルイスの音楽について以下のように記されている。(Djangoより)

「ある人たちが古いとおもい込んでいるジョージ・ルイスのジャズには素朴ではあるが純粋な美の追究、ヒューマンな温いこころが脈打っていてわれわれに大きなよろこびと感銘を与えずにおかない。」(野口久光、ジョージ・ルイス&ニューオルリーンズ・オールスターズ、イン・トーキョー1963 ライナーノート、1963年)

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ジョージ・ルイス&ニューオルリーンズ・オールスターズ、イン・トーキョー1963
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