第50回 不滅のジャズ名曲-その50-アローン・トゥゲザー(Alone Together)

Murphy:「4/20の大阪ブルーノートでのジム・ホールとロン・カーターのデュオは本当に素晴らしかったね。Djangoくんに誘われて行ったんだけど正直言って驚いたよ。ジャズの演奏というのは大音量だと思っていたんだけど、意外に小さくて、アンプを通しているにもかかわらず生音のようなピュアな音だった。ギターとベースのサウンド・クォリティはさすがだね。耳を澄ませて思わず聴き入ってしまった。それと、ジムホールがあの年齢で、エフェクターを通して様々なサウンド作りをするからびっくりした。本当に行ってよかったよ。次の日も、余韻が残っていたし、もう一度聴いてみたくなった。」

Django:「いい音楽は、聴いた後の余韻がいつまでも持続する。Murphyくんの言うようにもう一度聴いてみたくなるね。ロン・カーターはライブで、PAには最新の注意を払っているし、ベースの生音にできるだけ忠実な再生を心がけている。ジム・ホールも同様で、二人とも究極のエレクトリック・アコースティックサウンドを目指している。」

M:「よくアマチュアのジャズライブを聴きにいくと、これなら家のオーディオでCDを聴く方が余程よいサウンドだと思うことがある。音量が大きすぎてうるさくて長時間聴き続けると疲れてくることもあった。PAは大切だね。」

D:「その通り。現在第一線で活躍するジャズプレーヤーのライブ演奏は、概して思ったほど大音量ではない。特にロン・カーターなんかは、サウンドクォリティを最優先するし、音量もかなりセーブしている。ジム・ホールも80〜90年代に較べ、最近はますます音量を小さくする傾向にある。MJQなんかは、昔からいつも適正な音量で定評があったし、室内楽的サウンドクォリティを追求していた。」

M:「ジム・ホールは生で初めて聴いたんだけど、今回使っていた楽器はなに?」

D:「ギターはSADOWSKY(サドウスキー)のジムホール・モデル。アンプはポリトーン。」

M:「ジム・ホールが最初ステージに現れたとき、かなりのお年だと思ったけど、何歳ぐらいなの?」

D:「ジム・ホールは1930年12月4日生まれで76歳。一方のロンカーターは、1937年5月4日生まれだからもうすぐ70歳になる。」

M:「でも、演奏はいつまでも若々しいね。」

D:「そのとおり。ひとたび演奏が始まると、二人とも驚くほどクリエイティブな演奏を展開する。当日の最初の曲は、マイ・ファニー・ヴァレンタイン、2曲目はジム・ホールのオリジナル・ブルース・ナンバーでケアフル、3曲目は確かpeaceというオリジナル曲、4曲目は、オール・ザ・シングス・ユー・アー、ラストは、ソニー・ロリンズのセント・トーマス、そしてアンコールはミルト・ジャクソンのバグズ・グルーブだった。ところで、2曲目のケアフルという曲は、通常ブルースは12小節なんだけど、16小節だから注意しなければいけない、という意味でジム・ホール自らが、ケアフルと名付けたらしい。」

M:「Djangoくんが、ジム・ホールを聴くなら出来るだけステージに近い席で聴く方がいいと言っていたけど、最前列で聴いてよかったな。アンプを通したり生音のままで伴奏したり、ジム・ホールがあれほど音色を変えるとは思っていなかったので驚いた。」

D:「ジム・ホールも80年代の頃はライブでもっと大きな音量だったけど、先ほども言ったように最近はかなり小さくなった。そのことによって、聴衆は耳を澄ませ、積極的に聴こうとするようになるんだ。その分以前にも増して、多彩な音色を追求するようになった。」

M:「ところでDjangoくんは、いつ頃からジム・ホールが好きになったの?

D:「70年代からだね。それ以前はあまり知らなかった。60年代初めのソニー・ロリンズのバンドに参加していた頃の演奏は、あとで知った。70年代に入り、マイルスが電化サウンドにシフトし、多くのプレーヤーがフュージョン路線へとシフトし始めた頃から、最新録音盤は徐々に購入を見合わすようになったんだけど、ジム・ホールだけは例外だった。彼の演奏は一番肌に合うと言うか、体質的に最も受け入れやすかったので、よく彼の演奏を聴いていた。もし、ジム・ホールがいなかったら、途中でジャズを聴かなくなっていたかもしれない。

70年代の後半から、カリフォルニアでカール・E・ジェファーソンコンコード・レーベルを主宰し、次々と往年のスインギーなジャズプレーヤーを起用し録音するようになった。特に、ハーブ・エリス、カル・コリンズ、ジョニー・スミス、ジョージ・ヴァン・エプス、ケニー・バレルなどの名ギタリストを起用して数々の優れたギターアルバムを制作した。これは画期的だったね。フュージョン一色の時代に、往年のフォービート・ジャズ復活を復活させた功績は多大だ。当時このコンコードレーベルの輸入LPを好んで購入するようになった。コンコードレーベルは、ジム・ホールの新録音も開始し、ジム・ホールとロン・カーターのデュオアルバムLive at Village Westが82年にリリースされた。続いて84年にふたたびリリース。これが、再会セッションといわれるテレフォン(Telephone)というタイトルのアルバム。その中に収録されているアローン・トゥゲザー(Alone Together)は、70年代にリリースされた二人のデュオアルバムのタイトルにもなった曲。」

M:「それにしても、二人のデュオはもう一度聴きたくなるね。」

D:「素晴らしいライブに触れたときはいつもそうだよ。」

 ◇◇◇

Ron Carter and Jim Hall / テレフォン(Telephone)

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第49回 不滅のジャズ名曲-その49-ラッシュ・ライフ(Lush Life)

Django:「今月の新譜で素晴らしいアルバムがリリースされたので、Murphyくんに紹介しよう。その前に、ビリー・ストレイホーン(Billy Strayhorn)という人知っている?」

Murphy:「知っているよ。前回出てきたエリントン楽団のA列車で行こうを作曲した人だろう。」

D:「そのとおり。このビリー・ストレイホーンの作曲した数々の名曲を、ブルーノート・アーティスト達により新録されたアルバムが東芝EMI(BlueNoteレーベル)より4/11に国内リリースされた(輸入版は既に1/23リリース)。スペシャル・ゲストに、あのピアノの名匠、ハンク・ジョーンズが参加。アルバムタイトルは、ラッシュ・ライフ(Lush Life)。」

M:「ラッシュ・ライフといえば、以前にDjangoくんが紹介してくれた、ガンバリーニもアルバムを出していたね。」

D:「そう。ラッシュ・ライフは、1938年にストレイホーンがエリントン楽団に入る前に書いた曲で、エリントン楽団入団オーディションのための曲だったといわれている。いわばストレイホーンの出世曲だといえる。さすがに名曲だけあって、ナット・コールをはじめ、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、カーメン・マクレイなど、多くの歌手が歌っている。彼の作曲したなかで一二を争う人気曲。

ストレイホーンは、この曲を書いてエリントンに認められ、以後エリントンの片腕として、次々と傑作を発表した。前回採り上げた、A列車で行こうサテン・ドール、日本語で雨切符と訳されているレイン・チェックチェルシーの橋などいずれも40年代以降のエリントン楽団の代表作。

エリントンの片腕、ストレイホーンは、残念ながら1967年に亡くなった。今年の5月はちょうどストレイホン没後40年にあたる。実は、昨年、アメリカでストレイホーンの90分ドキュメンタリーフィルムが作られたが、このアルバムはそのサウンドトラック版。」

M:「ラッシュ・ライフは誰が歌っているの?」

D:「ダイアン・リーブス(Dianne Reeves)ラッセル・マローン(Russell Malone)のギター伴奏一本で歌っている。ラッセル・マローンといえば、NYで現在、ピーター・バーンスタインと並んで人気のギタリスト。あと、4曲目に入っている名曲サテン・ドール は、ハンク・ジョーンズ(Hank Jones)のピアノソロ。他に、ビル・シャーラップ(Bill Charlap)が、ファンタスティック・リズム、トンク、ヴァルスの各曲でピアノソロを担当。このあたりを聴いただけで、いかにこのアルバムが魅力的で、貴重なアルバムであるかがわかる。
とにかく久々の永久保存版ともいえる内容の深い傑作だ。」

 ◇◇◇

Billy Strayhorn: Lush Life / Blue Note 2007年新譜

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第48回 不滅のジャズ名曲-その48-A列車で行こう(Take the ‘A’ Train)

Murphy:「Djangoくん、今回はデューク・エリントン(Duke Ellington)について教えてほしいんだけど。CDもたくさん出ているようだし、どれから聴けばよいのか、さっぱりわからないんだ。以前に2〜3枚CDを買ったことはあるんだけど、どちらかといえばあまりピンとこなかったようだね。」

Django:「デューク・エリントン(Duke Ellington)入門には、古い年代から順を追って聴いていくのが一番。とにかく一枚目は中途半端に選ばない方がいい。」

Duke Ellington



M:「古い年代というといつ頃なの? まさか戦前からって言うんではないだろうね。」

D:「もちろん戦前からだよ。」

M:「ということは、1930年代ぐらい?」

D:「オーケー(Okeh)レコードに吹き込んだ頃だから、1927年。その頃から聴く方がいい。Murphyくんは、この間からニューオリンズ・ジャズも聴き始めただろう?」

M:「あれから、けっこう聴いているね。」

D:「それならそろそろデューク・エリントンを聴き始めればいい。エリントンを聴く前に、まず最初は、ニューオリンズ・ジャズに親しむ。そのあと、ニューオリンズ・ジャズを聴き慣れた耳で、デューク・エリントンの1920年代の録音から聴き始める。その後、順を追って30年代から40年代、そして戦後の1940年代後半から50年代、60年代へと聴いていくのが一番いい。とにかくニューオリンズ・ジャズに親しむこと。そして耳が少し慣れてきたときに、デューク・エリントンを聴くと、それはもう新鮮そのものに聴こえてくる。その感覚が、1930年ごろの当時の人たちがエリントン楽団に抱いたものに近い。

デューク・エリントン楽団も、最初はニューオリンズ・ジャズをベースにしている。しかし、単なるニューオリンズ・ジャズのコピーではない。そこを出発点とし、それらのイディオムを活用して、新しいことを試みようとした。言葉のなかには、擬態語や擬声語というのがあるけど、そういった新しい言葉の表現も彼らのサウンドに存分に織り込んだ。古いニューオリンズのイディオムを基本に、いわばそれらを絵具とし、さまざまな色の絵具を組み合わせて、素晴らしい色彩豊かな絵に仕立て上げるというのが、ボクのエリントンに対するイメージだ。エリントン楽団は、個人のスタープレーヤーに頼ることなく、楽団員全員が集団でこのバンド独自の音楽を作り上げていく。個人の自発的なアドリブ演奏に依存しすぎず、個々の楽器のサウンドをブレンドしていく手法を用いた。ミュートトランペット、クラリネット、トロンボーン、サックスなどが対立せず融合して、新しいサウンドを作り出す。

1930年頃から年代順に聴いていくとそのあたりのエリントンならではの独自の手法が手に取るように本当によくわかる。エリントンがどうしてこれだけの名声を得たか? その答えは、1930年代の演奏を聴けばきっと謎が解けるだろう。エリントン楽団の演奏は、それぞれの曲ごとにイメージが異なり、個性豊かなので、聴き続けても退屈しない。実にバラエティー豊かな数多くの名曲を作曲した。新しいアイデアや曲想が、年代順に次々と表出される。ニューオリンズ・ジャズが自然発生的でしかも自由に変形しながら発展してきたのに対し、エリントン楽団の音楽は、きわめて造形的で、いわばエリントンというデザイナーにより、全く新たな独自のジャズサウンドに生まれ変わった。それと、ニューオリンズ・ジャズを聴いてこの30年代当時のエリントン楽団を聴くと、7人編成のニューオリンズバンドからビッグバンドへの移行が、ごく自然に感じられる。というのは、当時のビッグバンドは、12名程度の編成であり、バンジョーも入っており、オリジナル・ニューオリンズ・ジャズバンドの発展型であったとも思えてくる。

The Duke: The Columbia Years 1927-1962というCD3枚組のボックスセットが、米国SONYレーベルから2004年にリリースされたが、そのアルバムを最初から順を追って聴いたとき、改めてエリントン楽団の素晴らしさがわかったように思った。もちろんこれまでに断片的にエリントンのアルバムを聴いてきたが、年代順に聴いたのはこれが最初だった。それまではどちらかといえば、60年代以降のアルバムを中心に聴くことが多かった。ところが、このボックスセットで初めて体系的に戦前の演奏を聴いてみて驚き、これは戦前の30年代当時から最高のオーケストラだと思った。CD3枚もあれば、連続して聴き続けるのは普通はかなり苦しいが、このボックスセットは、退屈するどころか、どの曲も新鮮で、1曲終わればまた1曲聴きたくなるという風に、気がつけば一気に全部聴いてしまったぐらい、惹きつけられた。」

M:「戦前のアルバムは録音が古くて聴くに耐えられないと思っていたけど。でも、Djangoくんの話を聞くと、音質もそんなに悪くなさそうだね。それよりもまず演奏内容面で価値があるということか。どうせ聴くならステレオ録音の方がいいと思って、なるべく新しい年代のアルバムを選ぼうかと実は内心思っていた。」

D:「戦前の録音といっても、やはりそこはCBS。メジャーレーベルのなかでも、トップレーベルだけあって1930年代の吹き込みでも、十分鑑賞に耐えられる音質だよ。もちろん、モノラルだけど。」

M:「エリントンといえばA列車で行こう(Take The ‘A’ Train)が有名だね。」

D:「もちろんこの曲もボックス・セットに収録されている。1952年録音で、実力派女性シンガー、ベティ・ローシェ(Betty Roche)が歌っている。この曲は、B. Strayhornの作曲。A列車で行こうはエリントン楽団のテーマ曲で余りにも有名だが、A列車とは、NYのブルックリン東地区からハーレム経由、マンハッタン北部行きの地下鉄のこと。1941年の初演、ベン・ウェブスター(ts)版が極めつけだが、こちらの52年版も、ベティー・ローシェのスキャット付きヴォーカルが入るロングバージョンで、甲乙付け難い名演だ。他にこのアルバムには、The Mooche(1928)In A Sentimental Mood(1935)など、代表的なエリントン・ナンバーが数多く入っているが、そのなかでも名曲、スイングしなけりゃ意味がない(It Don’t Mean A Thing)は、戦前のエリントン楽団の名シンガー、アイヴィ・アンダーソン(Ivie Anderson)が歌っており、ぜひこのBoxSetに収録されている1932年当時の録音でこの曲を聴いてほしいね。とにかくこのセットは価値ある愛蔵版だ。」

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The Duke Ellington / Duke: The Columbia Years 1927-1962 Box Set(CD3枚組)U.S. Sony

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第47回 不滅のジャズ名曲-その47-アイ・ヴ・ファウンド・ア・ニュー・ベイビー(I’ve Found a New Baby)

Murphy:「Djangoくんの影響で、モダンジャズ以前の、ニューオリンズ・ジャズに興味を持ったんだけど、リラックスできて気軽に楽しめるアルバムを教えてくれる?」

Django:「ニューオリンズスタイルのジャズで、真っ先にあげなければならないのは、ジョージ・ルイスだろう。1940年代にリバイバルブームが起こり、クラリネットの名手であるジョージ・ルイスは精力的にツアーを行い、数々の名アルバムを残している。このジョージ・ルイスについては以前にも紹介したので、今回は他のアーティストのなかから選ぼうと思うんだけど。」

M:「それならトロンボーンで誰かいない?」

D:「ニューオリンズスタイルのトロンボーンで最も有名なのはキッド・オリー。彼は、1922年に黒人ジャズバンドとして初レコードを吹き込み、その後シカゴで活躍した。1940年代の、リバイバルブームで注目され、生粋のニューオリンズジャズを演奏し、彼の功績により、トロンボーンは一躍ジャズの中心楽器としての地位を確立した。そういった意味では、キッド・オリーはジャズトロンボーンの父といわれる人。」

M:「他には誰かいる?」

D:「ニューオリンズ生まれではないんだけど、もう一人優れたトロンボーン奏者がいる。ジャック・ティーガーデン(Jack Teagarden)。彼は、1905年にテキサス州のヴァーノンで生まれた。1964年にニューオリンズのフレンチ・クォーターで亡くなるまで、多くのバンド歴を持っている。ベニー・グッドマン楽団にも所属していた。彼のトロンボーンは、一言でいえば、実によく歌うトロンボーンで、演奏テクニックと持ち味である詩情豊かな音楽性は、その後のトロンボーン奏者に多大な影響を与えた。また、ヴォーカルもうまい。今回は、彼の50年代のアルバムを紹介しよう。50年代といえば、オリジナル・ニューオリンズ・ジャズが演奏されていた時代から相当の年月が経過しており、このアルバムは、古い時代の単なるコピーではなく、スイング時代を経験してきたなかで、新たな表現としてニューオリンズ・ジャズを解釈している。そういった意味では、Murphyくんのように初めてトラッド・ジャズを聴く人にもほとんど抵抗なく聴けると思う。アルバムタイトルは、Jack Teagarden & Bobby Hackett / Complete Fifties Studio Recordings。Lone Hill Jazzというレーベルから2004年に初CD化されたもの。このアルバムは、ボビー・ハケット(tp)ジャック・ティーガーデン(tb)のそれぞれのリーダーアルバム2枚分を1枚のCDにまとめたもので、全部で23曲収録されている。」

M:「ニューオリンズ・ジャズっていうのは何人編成なの?」

D:「本来は7人編成で、トランペット、トロンボーン、クラリネット、ピアノ、バンジョー、ベース、ドラムスという構成が一般的。このアルバムは、一部テナーサックスやバリトンサックスが入っており、その辺からも時代の新しさがわかる。サックスはジャズの演奏の中では、スイング時代から中心楽器になってきたもので、もともとニューオリンズ・ジャズではサックスは入ってなかった。スイング時代までは、クラリネットが大変重要な役割を果たしていたといえる。アルバムに話を戻すと、このCDは、先ほど説明したように50年代の吹き込みなので、ジャック・ティーガーデンのバンドの演奏はずいぶんモダンになっており、スイング期のリラックスした演奏スタイルを持ち、おそらくモダンジャズに耳慣れた人でも、何の抵抗もなくその良さがすぐにわかるだろう。それに、彼のトロンボーンは、モダンジャズのトロンボーン奏者と比較しても、劣るどころかむしろその魅力は、時代を超えて高まるばかりで、特に彼の歌うようなフレージングは本当に素晴らしい。ゆったりとした気分でリラックスできる演奏だから、いつでも楽しく聴けると思うよ。ところで、I’ve Found a New Babyという曲、知っている?」

M:「知らないなあ。」

D:「このアルバムに収録されているんだけど、素晴らしい演奏だよ。この曲は、ニューオリンズ生まれのSpencer Williamsという作曲家兼ピアニストの1926年の作曲で、作詞はJack PalmerSpencer Williamsは他にも数多くの名曲を生み出している。その2年後には、有名なBasin Street Bluesを作曲している。Royal Garden Bluesも彼の作品。ところで、I’ve Found a New Babyは、チャーリー・クリスチャンもグッドマンのコンボで演奏しているし、 他にはDjango ReinhardtとStephane Grapelliのコンビなど、スイング期には盛んに演奏された。Dマイナーで始まる素敵な曲だから、1回聴いただけで覚えるよ。それと、このCDは、先ほど言ったように2枚のアルバムを1枚に収録しているんだけど、ジャック・ティーガーデンのバンド演奏分(11曲目〜23曲目)は、1957年(Capitalレーベル)のステレオ録音で音質もいいから、その味わいを存分に楽しめるし、これだけでも価値あるCDだと思う。」

※このアルバムは、スペイン、バルセローナのLONE HILL JAZZレーベルから2004年にリリースされており、現在はまだ入手可能。LONE HILL JAZZは、このところ貴重なレア音源を次々と復刻しており、注目すべきこだわりのジャズレーベルである。

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Jack Teagarden & Bobby Hackett/Complete Fifties Studio Recordings

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第46回 不滅のジャズ名曲-その46-フォー・オン・シックス(Four On Six)

50〜60年代のいわゆるモダンジャズ黄金時代の主要レーベルといえば、ブルーノート(Blue Note)プレスティッジ(Prestige)コンテンポラリー(Contemporary)リヴァーサイド(Riverside)などがあげられるが、このうちの、ブルーノートを除く3レーベルの国内発売元がこのほど移籍した。これら3レーベルは、長年国内ではビクターから発売されていたが、2007年4月より、メジャーレーベルであるユニヴァーサル(Universal Music)からリリースされることとなった。

これを記念して、JAZZ THE BEST 超限定 \1,100と称し、4/11に100タイトル、5/16に50タイトル、いずれも初回生産限定版で1100円というおそらくこれまでの国内最安値で一挙に発売される。もっとも輸入版では、米国ファンタジー社からOJC(Original Jazz Classics)シリーズとして、LP時代から低価格で販売されており、80年代には、OJCのLPレコードは国内実売価格1000円前後であったことを今でも記憶している。しかし、CD時代に入ると、値上がりし1500円前後が相場であった。そういった意味では、今度の1100円盤は、これからジャズを聴こうという入門者にとっては願ってもない機会だといえる。

さて、これら3レーベルについて、順を追って紹介すると、まず、プレスティッジは、1949年にボブ・ワインストックにより録音が開始され、その後、オジー・カデナ、テディ・チャールズもプロデューサーとして加わり、文字通りモダンジャズの東海岸における名門レーベルとして君臨してきた。50年代のジャズといえば、ブルーノートと並びまずこのプレスティッジが最強レーベルであった。モダンジャズの黄金時代といわれるビバップ以降の、ハードバップ路線を強力に推進してきたのもこのレーベルだ。ソニー・ロリンズ、マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーンを筆頭とするラインナップは、数々の不滅の名盤を生み出し、現在でも最も人気の高いレーベルの一つである。ソニー・ロリンズは、このレーベルに超有名なサキソフォン・コロッサスを吹き込み、他にワンホーンカルテットの傑作を残している。また、マイルスは、50年代前半からCBS時代に移行する直前までの、ハードバップ期の名アルバムを数多く残しており、マイルスをこれから聴いてみようという方は、是非このプレスティッジ時代のアルバムを聴いていただきたい。プレスティッジ・レーベルは、60年代以降は、R&B色が強まり、やや魅力に欠けるレーベルとなった。

プレスティッジが東海岸の名門レーベルであるのに対し、コンテンポラリー・レーベルは、西海岸の50年代の雄であるといえる。1949年にレスター・ケーニッヒにより設立された。彼自身が、プロデューサーをつとめ、気に入ったアーティストだけを厳選してすぐれたアルバム作りを行ってきた。主なアーティストは、アート・ペッパー(as)、チェット・ベイカー(tp)、ハンプトン・ホーズ(p)、バーニー・ケッセル(g)など。特筆すべきことは、このレーベルは、当時の最先端の録音技術を駆使して、50年代の録音であるにも関わらず、現在の水準からみても立派に通用する優れた音質を誇ってきたことだ。このレーベルのアルバムをかけると、自分のオーディオシステムがグレードアップした気分になるくらいそのクオリティーは高い。

リヴァーサイドは、ビル・グロウアーが社長、オリン・キープニュースが副社長となって設立された名門レーベル。初期の頃は、ニューオリンズジャズなどの古い音源の発掘などを手がけ、1955年からモダンジャズの新録音を開始した。ワルツ・フォー・デビーで有名なビル・エバンス(p)のスコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)とのトリオ時代のアルバムは特に有名。セロニアス・モンクもこのレーベルに吹き込んでおり、彼の最高傑作といわれるブリリアント・コーナーズも残している。その他には、50年代後半から60年代にかけて、ジャズ・ギターの分野で幾多の優れたアルバムを残した、ウェス・モンゴメリーも、リヴァーサイドに多くの名盤を残している。

このリヴァーサイドに吹き込んだウェス・モンゴメリー(Wes Montgomery)のアルバムのなかで、ザ・ウェス・モンゴメリー・トリオフル・ハウスなどとともに名盤として今でも人気の高い、インクレディブル・ジャズ・ギター(The Incredible Jazz Guitar)を是非紹介したい。このアルバムは、ギターをリーダーとしたクァルテットアルバムで、管楽器が入っていない分、ウェスの演奏を十分に堪能できる。パーソネルは、ウェス・モンゴメリー(g) 、名脇役のトミー・フラナガン(p) 、MJQのパーシー・ヒース(b)、それにアルバート・ヒース(ds)という当時の理想的なリズム陣で構成されている。

ウェスといえばオクターブ奏法が有名だが、彼のギターは、シングルトーンでも、芯のある太い音を奏で、それだけでも十分迫力がある。ミディアムゲージ以上の太い弦を張り、ピックを使わず右手の親指だけで演奏する。その音色は他に追従を許さぬ独自のものだ。このアルバムのなかで、ウェス自らが作曲した、フォー・オン・シックス(Four On Six)を是非聴いていただきたい。素晴らしいノリで突き進む、彼のジャズギターの特徴が最もよく表れている。

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The Incredible Jazz Guitar of Wes Montgomery

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第45回 不滅のジャズ名曲-その45-ダイナ(Dinah)

ジャズのCDは少し油断して買いそびれると入手困難になることが多い。50〜60年代のいわゆるジャズの名盤といわれるアルバムは、少し待てば再発されるし、それほど問題はない。特に、ブルーノート、プレスティッジ、リバーサイドなどの名門レーベルは、ほとんどいつでも入手可能である。ところが、1980年代以降の比較的新しいジャズCDは、いったん廃盤になると、再発されることも少ない。

現在、NYで若手No.1のトランぺッターといわれる、ニューオリンズ出身のニコラス・ペイトン(Nicholas Payton)のアルバムをもう一度、彼のデビューした当初から聴いてみようと思い、自分が購入してなかったCDを調べてみたが、残念ながら90年代のものは廃盤になっているものが多い。

ニコラス・ペイトンは、1973年9月26日ニューオリンズ生まれ。現在34歳。4歳でトランペットを始め、13歳の時にウィントン・マルサリスと出会い、エリス・マルサリスの「ニューオリンズ・フォー・クリエイティヴ・アーツ」で学ぶ。90年にマーカス・ロバーツの全米ツアーに加わり注目を集める。その後、自己の故郷であるニューオリンズスタイルからスイング、モダン、さらにはそれ以降の、ハービー・ハンコック、ウエイン・ショーターなどの新主流派も含め、まさにジャズの歴史遺産を伝承しつつ、新解釈で数々の名アルバムを録音してきた。

最新作はMysterious Shorter(チェスキー・レーベル)で、ウエイン・ショーターの作品をフィーチャーしたアルバム(2006/10/24 Release)。1997年にリリースされたFingerpainting: The Music of Herbie Hancockは、サブタイトルどおり、ハービー・ハンコックの作品集。ウエイン・ショーターとハービー・ハンコックは、60年代以降の最も重要なミュージシャンであるばかりでなく、作曲家としても今後ますますその評価は高まるものと思われるが、この二人の作品集をニコラスが採り上げたことは注目すべきことだ。

2001年には、ルイ・アームストロング生誕100周年記念トリビュート・アルバムDear Louis(Verve)を発表している。同じニューオリンズ出身でもあり、スタイルもサッチモに似ていることから"ヤング・サッチモ"と呼ばれてきたニコラスが、満を持して発表した話題作。1928年にサッチモが吹き込んだ名曲、 「ウェスト・エンド・ブルース」や戦後の大ヒット曲、「ハロー・ドーリー」などが網羅されている。

ニコラス・ペイトンの一連の作品のなかで、ヴォーカルの入ったユニークなアルバムがある。CDタイトルは、Doc Cheatham & Nicholas Paytonで、Verveから1997年にリリースされたもの。もちろんニコラスはトランペットのみで、ヴォーカルは、ドック・チーサム(Doc Cheatham)(tp,vo)。ドック・チーサムは、このアルバムがリリースされた年に92歳で亡くなっているが、もともとディキシー、スイング系のトランぺッターであり、歌の方も相当な腕前の持ち主。この二人が往年のスイング系の演奏を繰り広げており、リラックスしたなかで時には名人芸的な技をみせながら、最後まで楽しませてくれるアルバムだ。ドック・チーサムの歌にあわせ、ニコラスがオブリガートでやさしくトランペットを奏でるあたりは、思わずこんなヴォーカルアルバムを聴きたかったんだと実感し、これは自分の愛聴盤になること間違いなしと確信したことを今でも強く覚えている。

このアルバムは、実は前回採り上げた、ディキシーの名曲、世界は日の出を待っている(World Is Waiting for the Sunrise)が収録されており、他にStardustや、サッチモやベニー・グッドマンが戦前に盛んに演奏したダイナ(Dinah)も吹き込まれている。とにかく実に楽しいアルバムだ。

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Doc Cheatham & Nicholas Payton Verve1997

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第44回 不滅のジャズ名曲-その44-世界は日の出を待っている(The World Is Waiting For The Sunrise)

前回紹介したBurgandy Street Bluesとならぶ、ジョージ・ルイスの十八番、世界は日の出を待っている(The World Is Waiting for the Sunrise)は、かつて世界中のディキシーランド・ジャズの楽団が盛んに演奏した曲。この曲は、もともとカナダのクラシック系ピアニスト兼指揮者のジーン・ロックハートとその友人であるアーネスト・サイツが合作した歌曲であったといわれている。第一次世界大戦当時に流行したポピュラー曲で、その後、ニューオリンズ・ジャズバンドのスタンダードとなり、後にはベニー・グッドマンやレス・ポールもこの曲を録音している。ジョージ・ルイスのコンサートでは、必ずこの曲が採り上げられている。

東京公演でも(前回紹介のCD)でも、この曲が始まると、待ってましたとばかりに観客から声がかかり、大変な盛り上がりを見せた。ジョージ・ルイスのアルバムで、一時幻の名盤といわれた、1954年3月3日のオハイオ州立大学でのライブレコーディングアルバム、Jass At Ohio Unionでも、この曲が始まると、会場全体に熱気が漂い、素晴らしい演奏を披露された。特に、バンジョーのローレンス・マレロが素晴らしかった。

このオハイオ・コンサートは、会場全体にただならぬ熱気が漂い、当時のジョージ・ルイスバンドの巡回コンサートへの大変な歓迎ぶりが伺える。この時は、ロサンジェルスから東部までの長い巡業のなかの途中であったらしい。1954年のコンサートであるから、ニューオリンズ・ジャズ誕生から数えると、既に半世紀ほど経過しており、決して時代の先端ではなく、どちらかといえばトラッドな過去の音楽であるにも関わらず、観客は同時代的なリアリティのなかでこのバンドの演奏を存分に楽しんでいたように思える。

ジョージ・ルイスをはじめ、各プレイヤーと、観客が一体となり、会場を興奮のルツボに巻き込んだこの日のライブの熱気は、レコードを通してこちらの方までダイレクトに伝わってきた。LPレコード2枚組のボックスセットから1枚目のレコードを取り出したときは、最後まで聴く気はなかったのだが、針をおろした瞬間から惹き込まれ、2枚目の終わりまで一気に聴いたのを覚えている。

このアルバムを聴いて、ニューオリンズ・ジャズというのは、ワイルドでラフで俗っぽくて、時には崇高ともいえる音楽だと思った。人間の喜怒哀楽がすべて含まれ、これほど各プレイヤーが理屈抜きで生き生きと音楽を奏でられるということが自分には驚きであった。ドラムスのジョー・ワトキンスのヴォーカルは、南部なまりで、洗練されておらずワイルドであるが故に文句なしの説得力を持つ。地域色が豊かであるからこそ、誰もが新鮮に感じるのだ。トロンボーンのジム・ロビンソンは、Ice Creamで迫力満点のソロを見せる。バンジョーのローレンス・マレロも大活躍。

ニューオリンズ・ジャズは、かつてはローカル音楽だったのが、ラジオ、レコードなどにより1930年代の終わり頃から、アメリカ中に知れ渡るようになった。そして一大センセーションを巻き起こした。いわゆるニューオリンズジャズ・リバイバルだ。戦後も、このジョージ・ルイスのオハイオコンサートに例をみるように、ジョージ・ルイスらの全米ツアーにより多くの感動を与え、人気は衰えなかった。また、ヨーロッパでもブームが起きた。60年代には、日本でもツアーが行われ、多くの人々にディキシーランド・ジャズの魅力や楽しさを教えてくれた。しかし、1968年12月31日にジョージ・ルイスは亡くなる。本当のニューオーリンズジャズバンドの終わりであった。(Djangoより)

※参考文献:河野隆次: JASS AT OHIO UNION(BMC-4032〜33) LPレコード ライナーノート

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※このアルバム(JASS AT OHIO UNION 徳間ジャパン)は、2000/3/16にリリースされましたが、新品は入手困難です。

ジャズ・アット・オハイオ・ユニオン

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第43回 不滅のジャズ名曲-その43-バーガンディ・ストリート・ブルース(Burgandy Street Blues)

最近街のどこのレコード店に行っても、ジャズのコーナーでジョージ・ルイス(George Lewis)のCDが見あたらない。大型ストアでは、アルファベット順に並んでいるなかで、一応 ジョージ・ルイスのタグは、存在するのだが、一枚も入っていないことが多い。ジョージ・ルイス に限らずニューオリンズ・ジャズはめっきり影をひそめてしまった。かつて、LP時代には、ジョージ・ルイスといえば、OJC盤などを含め10枚程度のレコードが置いてあったのに。世の中で次第に忘れ去られようとしているトラディッショナル・ジャズ。レコード店の現状を見るとそう思わずにはいられない。

ジョージ・ルイスは、1900年にニューオリンズ市で生まれた。奇しくもこの年に、もう1人のニューオリンズ出身の巨人、ルイ・アームストロングも生まれている。1940年代にニューオリンズ・リバイバルブームが訪れ、その頃からバンク・ジョンソンとともに、ニューオリンズ・ジャズの代表的存在として認められるようになった。その後、天性の音楽的才能と素朴で暖かみのあるヒューマンな人柄により、その名声は次第にアメリカ全土にまで及んだ。

1960年代の前半、63年、64年、65年の3年にわたり日本にやってきて、延べ250回にもおよぶコンサートを行った。1963年の東京厚生年金でのコンサートは、深い感動をもたらした歴史に残る伝説のライブといわれている。当日の模様は、幸いにもキングレコードが、レコーディングを行い、LPをリリースし名盤となった。その後、85年にそのCD版が発売された。2004年8月にも再リリースされたので、現在でもまだ入手が可能である。録音状態も良く、今でもそのライブの熱気を高音質で味わうことができることは、有り難いことだ。

歴史に残る名演がレコード化され、今でもその演奏が聴けるということの有り難みをつくづく感じるアルバムの一つが、このアルバムで、タイトルは、ジョージ・ルイス&ニューオルリーンズ・オールスターズ、イン・トーキョー1963。このアルバムに初めて触れたのは今から20年以上前になるが、これがきっかけで、ディキシーランド・ジャズにも興味を持つようになった。それまではひたすらビバップ以降のいわゆるモダンジャズばかりを聴いていたし、当時ジャズ喫茶に行っても、モダンジャズばかりで、普段からあまり耳にする機会がなかったので、ディキシーランド・ジャズについては、特に強い関心を持っていたわけではなかった。

ところが、このアルバムを初めて聴いて、大変深い感銘を受けた。特に驚いたのは、ジョージ・ルイスのクラリネットだった。8曲目のバーガンディー・ストリート・ブルース(Burgandy Street Blues)は、ジョージ・ルイス自らの作曲で、彼の十八番中の十八番であり、この静かな曲を聴いて、しみじみと響き渡る彼のクラリネットが、聴き終わったあとも、いつまでも自分の心に残り、忘れられなかった。彼のクラリネットは、独自の奏法でユニークなスタイルを持っており、他の誰もがそう易々とまねのできないものである。

セントルイス・ブルースが3曲目に入っている。普段聞き慣れたセントルイス・ブルースとは随分異なり新鮮だ。ジョー・ワトキンズのヴォーカルを是非聴いていただきたい。ヴォーカルの後は、ジョー・ロビショーのピアノが続く。このブギスタイルのピアノは、ロックンロールにつながるノリの良さを持っており、これなら今の若い人が聴いても、けっこう惹かれるのではないかと思う。そこへバンジョーが絡む。最後のルイスのクラリネット・ソロが光る。

エマニュエル・セイレスのバンジョーを聴いて、これは到底ギターで代用は無理だと思った。あの歯切れの良さ、カラッとした音色は、ディキシーラン
ド・ジャズには不可欠である。どうしてバンジョーが入っているのか、初めてわかったような気がした。それ以来、バンジョーにも関心を持つようになった。
バンジョー抜きでは魅力は半減する。このアルバムの最後を飾る聖者の行進での、彼のバンジョー・ソロは圧巻である。フォスターのスワニー河が出てくる。

この歴史的記録を収録したアルバムのライナーノートは、野口久光、油井正一という、かつて日本のジャズ論壇を代表した両氏が書かれ、ニューオリンズ・ジャズ研究家の平松喬氏も寄稿されている。ライナーノートの冒頭で野口久光氏は、ジョージ・ルイスの音楽について以下のように記されている。(Djangoより)

「ある人たちが古いとおもい込んでいるジョージ・ルイスのジャズには素朴ではあるが純粋な美の追究、ヒューマンな温いこころが脈打っていてわれわれに大きなよろこびと感銘を与えずにおかない。」(野口久光、ジョージ・ルイス&ニューオルリーンズ・オールスターズ、イン・トーキョー1963 ライナーノート、1963年)

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ジョージ・ルイス&ニューオルリーンズ・オールスターズ、イン・トーキョー1963
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第42回 不滅のジャズ名曲-その42-スティープルチェイス(The Steeplechase)

パーカーの名曲スティープルチェイス(The Steeplechase)。この曲を最初に聴いたのは、パーカーのサヴォイ(SAVOY)盤だった。メンバーは、Charlie Parker (as)、Miles Davis (tp)、John Lewis (p)、Curly Russell (b)、Max Roach (ds)。ダイアルのパーカーよりもサヴォイの方が気に入って、ほぼ日常的に聴いていた。サヴォイ盤は、何回聴いても聴き飽きなかった。はじめはマスターテイクで満足していたが、その後、全テイクの入ったアルバムを入手して、それぞれのテイクごとの違いを楽しむようになった。でも、普段聴くときは、マスターテイクの方がよい。同じ曲を何度も聴かずに済むからだ。

学生時代に同級生が、パーカーのNow’s The Timeを口笛で吹いていた。もちろんテーマだけだった。さすがにDonna Leeあたりは、口笛ではなかなか難しいと思うが、これなら可能かも知れないと思い、自分でも練習した。でも、もともと口笛がそれほど得意でないので、あまりうまく吹けなかった。自分で一番吹きたかったのは、スティープルチェイス(The Steeplechase)だった。この曲は、パーカーの数ある曲のなかでも特に気に入り、他のサックス奏者のアルバムでも、この曲が入っているとつい買ってしまうようになった。

あるとき、ワーデルグレイ(Wardell Gray)のアルバムのなかで、スティープルチェイスが入っているのを発見し、すぐにその場で買って帰った。アルバムタイトルは、邦題がザ・チェイス、オリジナルは、The Chase and The Steeplechaseというまさに、曲そのものがアルバムタイトルになっていた。このアルバムは、ワーデルグレイ(ts)、デクスター・ゴードン(ts)、ボビー・タッカー(p)、ドン・バグレー(b)、それにドラムスがチコ・ハミルトン。2曲目に入っているスティープルチェイスは、収録時間が14分近くにも及ぶ長時間セッションで、ライブの雰囲気を存分に楽しむことができる。

ワーデル・グレイは、歌うようなフレージングが次から次へと沸き上がり、聴いている方も思わず惹き込まれる。代表作は、プレスティッジから出ている、ワーデル・グレイ・メモリアル、Vol.1と2の2枚のアルバム。1950年から52年の録音。B000000y3501_sclzzzzzzz_sl210__1残念ながら、彼は1955年に亡くなり短命に終わっている。だから、作品の数は少なく、それほど知名度も高くなかった。しかしそのアドリブは一度聴くと忘れられないほどの魅力を持ち、聴き手を引きつける。フレーズが自然でなめらかだ。しかも、フレーズの間(ま)が絶妙で、全く抵抗なく聴き続けられる。こちらの耳が、積極的にアドリブ展開を聴き逃さないように追いかけるようになる。ソニー・ロリンズ出現以前では、最もよく歌うモダンテナーだとも言われている。チェースのアルバムでは大和明さんがライナーノートを担当。岡崎正通さんとの共著モダン・ジャズ決定版で、氏は以下のようにワーデル・グレイを絶賛している。(Djangoより)

「レスター・ヤングとチャーリー・パーカーを統合化しモダン化したテナーマンで、歌心とスイング感に溢れたくつろいだプレイは他のテナーマンの追従を許さぬものがある。」(大和明、岡崎正通:モダンジャズ決定版、音楽の友社、1977年)

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ワーデル・グレイ=デクスター・ゴードン/ザ・チェイス (紙ジャケット) DECCA
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第41回 不滅のジャズ名曲-その41-星影のステラ(Stalla By Starlight)

DjangoよりMurphyくんへ:

前回(第40回)ジャズ・ヴォーカルの素敵なアルバムとして、ジューン・クリスティを紹介しましたが、このジューン・クリスティ、以前に採り上げたクリスコナーとならんで、忘れてならないシンガーがいます。それは、アニタ・オデイ(Anita O’day)。アニタは、この2人の先輩格にあたります。白人女性ヴォーカルのトップといえる存在です。アニタは、ジーン・クルーパ楽団、スタン・ケントン楽団を経て独立。スイングジャズもモダンジャズも自在にこなします。1918年生まれ。

今からずいぶん前(15年以上前)になりますが、いつもポータブルCDプレーヤーを持ち歩き、レコード屋で買った時にもすぐに聴けるようにしていました。アニタ・オデイを初めて聴いたのは、実は、このポータブルCDプレーヤーにヘッドフォンをつけて聴いたのが最初です。彼女の存在は、もちろん知っていたのですが、そのうち購入しようと思いながら、LP時代は一度も買ってなかったということです。どうして買わなかったのか、よくわかりませんが、なぜかジャケットを見てあまり気が進まなかったのかも知れません。でも、50年代から60年代のアルバムですから、決してジャケットデザインに魅力がなかったわけではなく、アニタの容姿ももちろん悪くありません。単に購入を見送っていたというだけです。

ところが、ヘッドフォンで初めて聴いたとき、その本格的な歌唱力に驚きました。ジャズシンガー特有の楽器のように自在に歌いこなす力量、スキャットのうまさ、どんなアップテンポの曲でも、バックの伴奏に遅れをとらないどころか、リードしていくスピード感など、いやもう正直言って予想以上の素晴らしさで思わずうれしくなりました。この1枚のCDを買ってよかったという思いとともに、これまで自分がアニタのアルバムを買ってなかったことが、つくづく悔やまれました。でも、こんな素晴らしいシンガーを見つけたのだから、これからじっくり聴いていけばいいという気持ちにもなり、なにか宝物を探し当てたような喜びを正直、感じたわけです。

そのときのアルバムは、アニタの50年代の名盤アニタ・シングズ・ザ・モスト(Anita Sings The Most)です。1956年の録音ですが、これが自分にとってもアニタ・オデイとの出会いです。バックは、オスカー・ピーターソン・トリオにドラムスが加わりカルテットでの演奏。1曲目のS’Wonderfulから、ピーターソン独特の急流下りのようなスピード感に乗って、アニタは、ものすごい速さで軽々とフレーズを渡り歩いていく。歌に力みがなく、全く自然体で歌える人、だからスイングする。喉によく効くハーブ・エリスのギターも、アニタのスキャットに刺激されてか、Them There Eyesで全快。アニタのスキャットもハーブ・キャンディ効果でさらに調子が高まる。

6曲名に入っている、星影のステラ(Stalla By Starlight)を、電車のなかで何回も繰り返し聴きました。書店で自分の欲しい本を見つけたときや、素晴らしいオーディオの音に触れたとき、あるいは欲しいカメラをやっと探し当てたときのような、本当に好きなものを見つけたときに、からだのなかでエネルギーがグッとわき起こってくる感覚が、彼女の音楽を聴いて感じられました。

クリス・コナーやジューン・クリスティを知りながら、アニタ・オデイを知らなかった、その頃がなつかしく、彼女の歌声からその時の自分が、今でも思い出されます。彼女の歌は、料理で言えば、あっさり味で淡泊で、ベタベタしていない、サラッとしているんですが、味付けは決して単調ではなく、バリエーション豊富で、何回聴いても飽きがこないという印象です。

一生に一度でいいからアニタ・オデイのライブを聴きたかった、とつくづく思ったのがアニタ・オデイ・アット・ミスター・ケリーズです。このアルバムは、1958年にシカゴのミスター・ケリーズでのライブ録音で、バックはピアノ・トリオ。大阪梅田にある同名のミスター・ケリーズというライブハウスへ行くたびに、このアルバムのことを思い出します。もう少し、早く気がついたらアニタのライブが聴けたのに。

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※アニタ・オデイは、Verveレーベルに50年代から60年前半にかけての数々の名盤を残しているが、追悼企画として、今月(2007/3/7)一気に16枚のアルバムが復刻再発売された。しかも、今回のアルバムは、オリジナルLPに忠実な紙ジャケット仕様で、新規にオリジナル・アナログマスターからリマスタリング。

アニタ・シングズ・ザ・モスト(紙ジャケット仕様) 1956年 Verve

パーソネル:オスカー・ピーターソン

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